きりんのきもち

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【フィンランド史跡・美術館見学①】タンペレ教会(Tampere Cathedral)

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タンペレ教会は、フィンランドがロシア統治時代である19世紀終盤から20世紀にかけて建てられた、比較的新しい教会。綺麗な建物だが、個人的に内装には異教っぽさすら感じる教会にしては独特なモチーフがあると感じた。調べてみればこの教会はフィンランドロマン主義の傑作とされているということで、キリスト教の世界観とは一線を画すフィンランド人の精神世界が表現されているのも頷ける。 

 

 私がLapland大学留学時代に、"Excursion to the Finnish Cultural Monuments and Exhibitions"という授業で行った場所についてぼちぼち紹介していきたいと思う。書きたい書きたいと思いつつ先延ばしにしていたら3年もたってしまった。恐ろしい。

これは要するに史跡・美術館見学旅行で、50€+各種入場料がかかるのといくつかの日程で自分で宿泊先を確保する必要があるとはいえ、結構僻地の地元教会らしき場所にもバスで連れて行ってくれるのでなかなかいい思いができた。まあ実際はおれが知らなかっただけで、ツアーコースに組み込まれているような有名どころだったのかもしれないが…。今も大学にこういう授業があるのかどうかわからないが、取れるなら取っておいて損はないかと思う。(確かフィンランド人以外の学生は事後レポートが無くても参加するだけで単位貰えたはずだし。いいのかそれで…?という気もするが)。 

最初の記事はタイトル通りタンペレ教会(Tampere Cathedral)。タンペレ自体それなりに大きい都市だしここもデカかったので、観光で来たことある人も多そう。

ってかほんとはこういう教養あるっぽい記事を記念すべきブログ初投稿にしようと意気込んでいたのに、結局Falloutをいじって遊ぶ記事になってしまったのまじで性格っぽい。

経緯

1850年代以降、工業化によりタンペレは経済的に成長しつつあった。1877年にはTammerkoski(地図中央を流れる川)東岸のKyttälä地区に工場労働者のみならず、商人や職人、役人といった様々な働き手たちが住むようになり、市中央の教会は日曜になるとこのKyttäläからやってくる人々で一杯になってしまった。当時川の西側にはThe Old Church、Finlayson Church、Alexander Church(水色吹出に□のマーカー)といった教会が既にあったが、この混雑を解消するには川の東側にも新しい教会が必要と考えられたのである。

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1887年に教会議会で新たな教会建設についての提案が可決されると、翌年には新たな教会の建設に向けてデザインの公募が行われると発表された。

 1902年着工された教会は1907年に完成した。 当時の数年に渡る穀物の不作による貧困や、フィンランド総督Nikolay Bobrikovのロシア化政策のもと人々の間では動揺が広がっていたことから、この教会の建設は救済事業の一つとして開始されている。ロシアからの圧力に対抗するように盛り上がっていたナショナリズムとも密接に関わって、このような荘厳な建築がフィンランド人自身の手によって成し遂げられたのだという事実がフィンランドの人々を勇気づけたのだ。

完成当初聖ヨハネ教会(St. John's Church)と名付けられていたこの教会は、1923年に監督位*1がPorvooからタンペレへ移動してきたために、現在のタンペレ教会(Tampere Cathedral)へと改称された。

建築

1899年正式に開始されたデザインの公募には、厳しいガイドラインが設けられている;

  • 材料はレンガあるいは灰色の花崗岩、もしくはその両方でなければならない
  • 内部には2500人分の座席が確保される必要がある
  • 予算は60万マルク(2017年度の換算だと280万ユーロ*2=3億5000万程度)以下に収めること
  • 鐘楼と暖房設備
  • ルター派の様式に沿うようなものであること(例えば説教者があらゆる参列者から見えるように説教壇を設置すること)

公募が終了するまでには23のデザイン提案が提出されていたものの、そのうち15はこれらのガイドライン要求を考慮に入れていないことが判明した。最終的に、Lars Sonckの案である”Aternitas(ラテン語で”永遠”の意)”が満場一致で採用されることとなった。このエレガントで印象的なデザインは周囲の景観に完全にマッチしていただけでなく、議会の設定したガイドラインをも入念に取り入れていた。タンペレ教会は当時若干31歳のこの若き建築家の最重要作品の一つである。

着工は1902年の4月であり、建築に携わった労働者たちの多くはタンペレの人々であった。また建設にあたっては一切の機械が使用されておらず、すべてが”手作業で”創りあげられた。花崗岩タンペレから約20km離れたPinsiöや50km以上の距離があるKuru、また160km先のUusikaupunkiから馬で運ばれたが、岩は10〜15tもあったため人々は道中にある橋が崩れるのではないかと危惧していたという。

3つの鐘楼は高い方から順に64m、43m、38mである。建設時はフィンランド国内でナショナリズムの機運の高まった時代であったため、この教会もすべてをフィンランド産のもので造ろうという意図があった。しかし教会の鐘だけはそれを造るのに相応しい施設が国内になかったために、ドイツから輸入されることとなっている。なお、最も高い鐘楼に据えられた3つの鐘は一般的なBメジャーの音色を奏でるが、これには著名なフィンランド人作曲家であるJean Sibelius(ジーン・シベリウス)が助言したとされる。

教会の外見はゴシック様式に見えるが、実際には3つの様式が組み合わされてできている;即ち、窓の少ない尖塔はまさしくゴシック様式の特徴を、内部の装飾など(後述)には民族的ロマン主義の要素が見られる。最後の一つはアール・ヌーヴォー様式で、家具などにその特徴が現れている。建材は自然の石を用いており、塔はゴシック・リバイバル様式だが、細部にはアール・ヌーヴォーの特徴が見られる。ファサードの装飾や内装は、同様に建築家であったValter Jungによって手がけられた。内部の柱やベンチ、説教壇にもアール・ヌーヴォー様式が見られる。

さて、このように素晴らしい建築作品となったタンペレ教会であるが、計画通りにはいかなかった部分もある。計画段階で2500人の収容が見込まれていた座席は実際には2000人分しかなく、説教壇も一部の座席から隠れてしまうのだ。とはいえそれらを差し引いても、この教会が美しく気品のある優れた作品であることは疑いようがないだろう。

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外の写真あんま撮ってないな…。長くなったので、内部についてはまた次の記事で。

 

参考

*1:カトリックにおける司教座に相当

*2:Change in the value of money | Statistics Finlandより1899年のレートで換算